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1972第6回 日本リーグ

MEN

会場は、過去5回での未開催地を選び、加えて1日1試合をという日程のため、第6回リーグは前回を上回る33ヶ所で行われた。
前回と同様に、日本鋼管と松下電器の優勝争いとなり、最終日までもつれた。2連覇をねらう松下電器は、横田忠義をフルに使って日本鋼管を苦しめ、チーム力が前回よりもアップしていたことをうかがわせたが、大古誠司の活躍で日本鋼管がそれを上回り、全勝で4度目の栄冠に輝いた。大古はこのリーグでスパイク賞とブロック賞の2冠王となる大活躍であった。
しかし、期待された沼倉慶一の不安定さ、大古の移籍問題などが起こり、日本鋼管の将来に微妙な影を感じさせる優勝でもあった。富士フイルムは南条博、保田靖則らの若手の活躍で3位になったが、これに佐藤哲夫の活躍が加われば、もっと日本鋼管、松下電器に肉薄できたはずだった。また、5位に低迷した旭化成はベテラン南将之に寄りかかったチーム力で、『脱「南」』を目指して若手の奮起が期待された。

WOMEN

優勝は、最終日のヤシカ対日立武蔵の対戦まで持ち込まれた。ここまで両チームは1敗同士で、仕組まれたような決戦にスタンドは満員の8,000人。当時 の女子では珍しいことだった。ミュンヘン・オリンピックに出場したベテラン選手をそっくり出場させ、悲願の優勝を狙うヤシカ。主将の岩原豊子がこのゲーム を最後に引退するということで、気力の盛り上りがうかがえた。一方、対する日立は、生沼スミ江が抜けたとはいえ、平均年齢21歳という若さで、1回戦では ヤシカを簡単に退けていた。だが大事なこの試合では、大接戦の予想を覆して、ヤシカがストレートで日立を破り、初優勝を飾り万年2位の汚名を返上した。
日立はやはり若さが裏目に出て、調子が落ちたときに頼る者がいなかったのが弱点となった。しかし、エース岡本真理子に風格がでてきたなど明るい材料も多 かった。4位に食い込んだ三洋電機はこの年、実業団リーグから日本リーグに昇格したばかりのチーム。チームを結成して数年でここまで来たのは、賞賛に値した。